判断力批判

高校生向けのやさしい解説

「この夕焼け、きれいだね」と言うとき、あなたは相手も同じように感じてほしいと思っていませんか?「私にはそう見える」ではなく「これは美しい」と言ってしまう——カントはその不思議さを哲学的に解き明かしました。美の感じ方は個人的なのに、なぜか誰かに同意を求めてしまう。その理由を「主観的普遍性」という概念で分析した、哲学史上もっとも重要な美学書のひとつです。

概要

Immanuel Kant による1790年刊行の哲学書。純粋理性批判(1781年)と実践理性批判(1788年)に続く批判哲学の第三批判書。「判断力(Urteilskraft)」——特殊を普遍の下に包摂する能力——を主題に、美的判断と目的論的判断という二つの問題領域を論じる。第一部「美学的判断力批判」では、美・崇高・天才・芸術の分析を行い、趣味判断の普遍的妥当性の根拠を問う。第二部「目的論的判断力批判」では、自然を合目的的なものとして見なす判断の正当性を論じる。自然の認識(理論理性)と道徳的行為(実践理性)の間に架橋する中間的領域として判断力を位置づけ、批判哲学の体系を完成させた。

主要概念

趣味判断の構造

「これは美しい」という判断(趣味判断)は、感覚的快(単に「気持ちよい」)とも道徳的善(「善い」)とも異なる。趣味判断は主観的——自らの感情に基づく——でありながら、同時に普遍的同意を要求する。「私には美しく見える」ではなく「これは美しい」と語るとき、聞き手の同意を求めている。カントはこの逆説的構造を「主観的普遍性」と呼び、認識的概念なしに達成される「自由な合目的性」の感得として分析する。

自由な合目的性と快適な無関心性

美の鑑賞における快は「無関心的な快(interesseloses Wohlgefallen)」である。対象を所有したい、利用したいという関心から切り離されたとき、形式の合目的性がそれ自体として感受される。この「無関心性」は審美的経験の純粋性の条件であり、利害関係から自由な関係的態度を可能にする。

崇高(das Erhabene)

崇高は美とは異なる審美的経験の様式。無限の広がり・圧倒的な力・測りがたい規模を持つ自然(嵐、山岳、無限の星空)に対面するとき、感性的能力の限界を感じながらも、理性の能力——それを超えた何かを思考できるという能力——において自己の威厳を確認する経験。崇高においては、失敗する想像力と成功する理性の拮抗がある。

天才論

芸術の創造において天才(Genie)は「自然が芸術に規則を与える」媒介者として機能する。天才は規則を学習して適用するのではなく、規則を与える。そのため天才自身もなぜそのように創造できるかを説明できない。天才の産物は模倣の対象ではなく、後続の創造者の「才能の拡充」を促す範例(Exemplar)として機能する。

反省的判断力と規定的判断力

「規定的判断力」は既知の普遍(概念・法則)の下に特殊を包摂する。「反省的判断力」は与えられた特殊から普遍を探し求める。美的判断・目的論的判断はいずれも反省的判断力の行使であり、確定した概念ではなく、問いながら意味を産出する実践に属する。

書誌情報

  • 著者: Immanuel Kant
  • 年: 1790
  • 出典: Kritik der Urteilskraft, Berlin: Lagarde und Friedrich
  • 邦訳参照: 牧野英二訳『判断力批判』岩波文庫(上下巻)
  • access_status: raw-confirmed
  • 全文: Wikimedia Commons