経験としての芸術(探究・思考論の観点)
高校生向けのやさしい解説
芸術って美術館の絵画だけじゃない、とデューイは言います。ボールを投げる瞬間や、料理が完成したときの充実感——そういう「始まりから終わりまでのまとまった経験」こそが芸術的なのだと。この本は「探究(調べて考えること)」と「芸術的な経験」が実は同じ構造を持つと主張した、ちょっと驚きの哲学書です。
概要
本書はJohn Deweyが1934年にハーバード大学でのウィリアム・ジェームズ記念講演を元に刊行した美学哲学の主著である(G. P. Putnam’s Sons)。デューイの経験哲学の集大成として位置づけられ、芸術作品を日常生活から切り離された特権的対象として扱う「美術館的芸術観」を批判し、芸術的経験と日常的経験の連続性を論じる。探究・思考論の観点から読むと、本書は「ひとつの経験(an experience)」が持つ完結性の条件、生命体と環境の相互作用としての表現の論理、行為・試み・完成のサイクルを展開した著作として読める。
主要概念
生きている生命体(the live creature)
芸術の出発点は美術館でも芸術家でもなく「生きている生命体(the live creature)」である。生命体は環境との絶え間ない相互作用(interaction)の中に置かれており、その緊張・回復・均衡のサイクルの中に経験の芸術性が宿る。デューイは火に親しむ職人、野球ボールを投げる人、植物を世話する人などの日常的行為に「審美的経験の萌芽」を見出す。
ひとつの経験(an experience)
平板な「経験(experience)」と区別して、「ひとつの経験(an experience)」は始まりと終わりを持ち、内的な完結性と統一性を持つ経験として定義される。食事・嵐・友人との会話・絵画を描くことなど、緊張が解消され充実として完成する経験がこれに当たる。この概念はプラグマティズムにおける探究の完了(問題の解決)と並行する。
表現の行為(the act of expression)
表現は感情の単純な「放出(discharge)」ではない。衝動・衝動と素材との抵抗・素材の制御・解決というプロセスを経て、衝動が洗練されて形(form)として表れることが「表現」である。デューイは芸術的創造を「素材との格闘を通じた探究プロセス」として描く。このプロセスにおいて思考と感情は分離せず、知覚・意図・身体的行為が統合される。
美術館の孤立批判
西洋近代が生み出した「美術館・展示館」制度は、芸術を日常生活の文脈から引き剥がし、特別な「崇拝の場」に隔離した。資本主義・ナショナリズム・軍事的略奪物の展示という歴史的経緯の中で、芸術は「生活の補強」から「地位の証明」へと変質した。この批判は探究と実践の分離を批判したデューイの認識論と対応する。
リズムと形式
経験を統合するのは「リズム(rhythm)」である。テンションと弛緩、行為とこうむること、問いと答えのリズムが経験に形式を与える。これは生物学的なレベル(呼吸、歩行)から知的探究(仮説と検証)まで貫通する構造である。
関連する探索キーワード
「表現の行為」における「衝動・抵抗・制御・解決」のプロセスは創造の5段階モデル(cs)と構造的に対応し、抵抗との対話によって形が生まれるという論理は創造プロセスを駆動する欠損(ks)の役割と重なる。「生命体と環境の絶え間ない相互作用の中にこそ経験の芸術性が宿る」という視点は間主観性(as)——自他の境界を横断する経験の相互構成——の感覚論的基盤として参照できる。
書誌情報
- 著者: John Dewey
- 年: 1934
- 出典: G. P. Putnam’s Sons, New York(William James Lectureship, Harvard University, 1931年講演)
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